昼休みが終わっても、スタッフが帰ってこない

医療法人社団わく歯科医院 理事長 和久 雅彦様

1992年大阪歯科大学卒業後、大津市民病院歯科口腔外科入局。1997年、兵庫県丹波市のわく歯科を3代目として承継。人口1,900人の過疎地に10件の歯科医院がある立地ながらも、地道に臨床を学び続け、徐々に地域での評判が上がり、拡張移転。順調に医院業績は伸びたものの、スタッフとのある事件を機に、口の中だけを診ていたのでは、本当にいい医療は実現できないと考え、自分自身の在り方と徹底的に向き合うとともに、院内の改革、臨床の追及を続け、「理念医療」というコンセプトを結実。現在はスタッフとの強固な信頼関係を基礎に置き、ハイレベルなチーム医療を実現。


今野 さっそく質問させていただきます。和久先生は、人口1,900人の過疎地に10件の歯科医院があるという立地で、先代から医院を承継されました。いろいろとご苦労や迷いがあったかと思いますが、どのようにして現在のような医院まで成長させていったのですか。

 

和久 うちの妹もそうだったんですけれども、(丹波市というのは)若い女性なんかが髪の毛を切りに行くのに周辺の神戸とか心斎橋まで出るような田舎だったわけですよ。

 

つまり丹波市内で完結できるものが全然なかったんですね。それで、歯医者だけはここで何とか完結できるようにしたいというのが、すごく自分の心に強く芽生えまして、土日は研修会。雑誌なんかも常に裏表紙から読むような形で研修会を探していました。

 

そういう田舎ですから、衛生士資格のある人が来てくれるというだけで跳び上がるぐらい喜んでいたわけです。

 

ただ、当時のうちの医院は家と職場が繋がっていたんですね。そこで初めて雇用した衛生士スタッフというのがですね、玄関を上がって、医院に入るまでの間に、うちの家族に挨拶もしないんですね。

 

全く返事もしない。そして定時になったら、まだ僕は診察しているんですけれど、いきなり着替えてダダダダッと逃げるように帰ろうとするんですよ。

 

それを僕も無理やり手をつかまえて、「何しとんのや!」ということで、患者さんの前でお恥ずかしい話ですが、引き戻すみたいなことをやっていたんですね。

 

今野 (笑)そんなに何回もやっていたわけではないですよね。

 

和久 いや、何回もです。それで一番辛かったのは、家と診療室がひっついていましたので、家内とかお袋とかもみんな、彼女たちにすごくストレスを感じていたんですね。

 

「一体あの子たちになんて教育しているの」という話で、今度はそれで責められるわけです。自分にとって逃げ場がなくなりまして、不整脈が頻発するようになりました。

 

当時は悲観してカテーテルを受けたんですけれど、「血管は何も詰まっていない」と。「ストレスだけのもんや」ということを言われまして。結局、まず家と職場を分離しないとダメやな。お互いダメになるわということで、近くにうちのご先祖様が持ってくださっていた土地があったので、そこに移転して建てることになったんですね。

 

今野 医院の方を移転することにしたんですね。

 

和久 はい。それで結局、建ちましたけれども、当然建ったからといって、何もそのスタッフの態度が変わるわけではなくて。

 

一番最初に雇った衛生士が非常に感のいい子で、僕が一を言うと十を知るような子だったんですよね。

 

仕事も人の3倍ぐらい働くんです。自分にとっては、ただ便利だから辞めてほしくないというのがあったんですけれど、なんせその子と一緒に働くと、皆辞めるんですよ、他のスタッフは。

 

だけど僕は(スタッフ間の)問題が起こる度に、そのスタッフたちを見るのではなくて、余計に「口の中」に逃げ込んでいたんです。

 

今野 患者さんの方に、ですね。

 

和久 そうなんです。歯医者はそれが出来るんです。写真を撮って、口の中をデザインして、作品づくりに勤しむわけです。それで問題は何の解決もしないまま、ある春の日にですね、午後診が14時から始まるんですけれども、15時になってもスタッフが誰も医院に帰ってこないんです。

 

今野 患者さんは医院に来ているんですよね。

 

和久 患者さんはいるんですよ。患者さんはいるのにもかかわらず、スタッフは誰もいないんです。

 

どういうことやと。 すると15時くらいに、ぷらーっと私服で帰ってくるんですよ。3人ぐらいで。

 

「お前、どこに行っとんたんや!」と言うと、「花見に行ってました」と。「はー?」と言うと、「花見なんて、うちの医院でさせてくれないでしょ」ということで。

 

その状況を受け入れざるを得ない自分に一番ストレスを感じまして。 自分はいい仕事をしたいと思って色々と学びに行っているのに、こういう環境の中で、いい仕事が出来るかと言われると、出来るはずがないだろうと思ってしまったんですよね。

 

今野 なるほど。

 

和久 そんな中、「会社はすべてトップの顔が映し出されているだけだ」という言葉に出会いまして、「ああ、この状況は俺自身がつくっているんやな」ということに気づかされるんですね。

 

結局は自分が変わらなければ何も変わらないんだなということで、医院改革というのは院長改革やと。何とかしないといけないという気持ちにはなっていたんですけれど、当時は今のように歯科医院の勉強会なんていうのは殆どなくて、会計士に相談して紹介してもらった自己啓発セミナーがあったんですが、そこに改めて行くことになったんです。

 

今野 自己啓発セミナーですか。

 

和久 はい。行くとですね、正直な話、衝撃ばっかりでした。大まかな気づきというのは、「すべての源は自分にある」ということであったり、「相手を変えようとしても変わらない、自分を変えるしかない」ということであったり、「自分の前に乗り越えられない壁は訪れない。訪れた壁はすべて自分が乗り越えられるものでしかない」ということ。「人生の被害者ではなくて責任者になれ」というようなことを教わるわけです。僕も自分に足らないことばっかりでしたので、非常に感銘を受けたんですけれども、何よりそこで知り合った他の経営者の皆さんですね、そういう人たちの言葉にすごく衝撃を受けました。

 

和久 ある美容師さんなんかはですね、「和久ちゃんは死ぬ時のイメージ出来てへんのかいな」と。

「僕は死ぬ時に自分の枕元で自分の育てた弟子に体を揺さぶられながら死んでいくんだ」と。「そのために今を生きているんや」ということを言われるんですよね。

 

自分の終わりをイメージして今を生きている人がいるんだということも衝撃でしたし、他の経営者なんかにはですね、「和久さんらは取りっぱぐれがなくていいな」と、「国に請求書を出したら、それで金が入ってくるんやろ」と。

 

「僕らはあんたらの言う毎日自費生活や」と。 自分らがどれだけ甘い世界で生きているのかということを思い知らされたりもしました。

 

今野 その研修会に、先生がこのままではダメだと思って飛び込んでということだったんですね。

 

和久 そうです。その後、継続して行っていた研修でより一層、人を見捨ててはならないということを刷り込まれて帰ってくるんですけれども、その研修に行かせてくれたのは誰かと考えてみると、実はその彼女たちなんですね。

 

何とかその彼女たちも幸せにしてあげたいという想いでいっぱいになってくるんですよ。そこで、僕は帰ってすぐにそのスタッフに「一緒に研修に行こう!」という話をするわけですね。

 

今野 その同じ研修にですね。

 

和久 はい。ところがスタッフからは、不整脈があるということで、医者に行って診断書までもらってくるんですね。行けませんというようなことでね。

 

和久 実はこの前に、研修の講師に僕は相談をしていたんです。「こういうスタッフがいるんですけれども、先生に教わった通り、何としても彼女を救いたいんです」という話をしていたら、さっきまで僕に「誰も見捨てるな」という話をしていた講師が、「和久さん、甘いよ」って言うんですね。

 

「はっ?」ってなると、「いいかい。わく歯科はその子の心理ゲームに乗っかっているだけだよ。

 

これからもずーっとゲームを続けるぞ。その子を辞めさせない限りは、わく歯科の未来は絶対に訪れないよ」ということを言われるわけです。 僕は唖然として帰るんですけれども。

 

今野 心理ゲームですか。

 

和久 そして、その人に言われたように、突然その彼女から辞表が手渡されるんです。結局辞表は彼女のゲームの一環なんですよね。「私をどうせ辞めさせられないでしょ」と。

 

その時には事前に講師からそういう話を聞いていましたから、その辞表を「分かった」と、「これまでご苦労さん」と受け取ったんですよ。

 

するとその彼女が、「受け取るの、あんた?」っていうような顔をするんですね。 それから辞めるまでの数週間ですけれども、基本セットを患者さんの前にバシャーン、バシャーンって置くわけですよ。それでも「あともう少しだ」って思いながら、最後ラストデーを迎えるんですけれども。最後はどんな子も僕は花束をお渡しするので、花束を渡したんですけれど、それを投げ捨てられまして。

 

今野 信じられないですね。

 

和久 最後に「せいせいしたわ!」と。

 

和久 結局、一番最初に辞めてもらわないといけない人というのは、技術があってやる気のない社員というのが一番害になると。

 

僕は技術があるということだけを重宝していたんですけれども、やはり技術があってやる気のない社員というのは、医院の中での多数派をすぐ形成できるんですよね。実力がある分ですね。

 

今野 なるほど。その後はどうなったんですか。

 

和久 その後は、セミナーの中で教わった、ある長野の病院の事例を参考に、僕もそれをそのまま忠実に実践してみようと思ったんですよ。

 

まず誰よりも早く出勤する。早く出勤すると、いつも自分と当たっていたような職員が実は玄関の前を掃除していたりとかですね、思いもかけない発見がまずあります。

 

目を見て大きな声で挨拶、返事をするということをやるんですね。すると段々医院の中に活気が生まれてくる。今、僕一人ひとり握手をしながら、「おはよう」と言うんですけれども、握手をするということは、目を見ないで握手することができないんですよ。

 

結局大きな声にもなりますし、目を見てしっかりと挨拶ができるという、お互いのストロークが先に取れるということがあるんですね。

 

今野 なるほど。

 

和久 そして、院長自らがトイレ掃除をする。結局これは何をしているかというと、医院の水を水質改善しているんです。その医院の水、会社の水というのは、やはり最初に言いましたようにトップの顔が映し出されているだけですので、その医院の水を決めるのは、やはり院長である自分自身だと思うんですね。

 

これまでは、わく歯科は完全にドブ川でした。ドブ川が悪いとかですね、鮒が悪いとかということではなくて、うちの医院の水質はドブ川だったんです。

 

それを自分が一番早く行って、誰よりも大きな返事、挨拶をして、トイレ掃除をするということで、だんだん水が清らかになってくるというか、最初はそれが清らかかどうかも分からないですけれど、だんだん自分のところの医院の水が変わってきたことを実感するのは、入ってくるスタッフがまるで変ってくるんです。

 

和久 これまでだったら自分の所に来ても、すぐに辞めてしまうか、どっか行っちゃうだろうなというような、魚で言うと鮎のようなスタッフが、だんだんうちに集まってきてくれるようになるんですね。

 

ここで一番僕が伝えたいことはですね、誰よりも早く出勤して、大きな声で挨拶、返事をして、院長がトイレ掃除まですると、何が起こるかということなんですけれども、必ず人が辞めていくんです。

 

絶対に人が辞めなければ嘘なんです。

 

今野 逆に、辞めてしまうのですか。

 

和久 つまりその水質が変わったにもかかわらず、これまでと同じ魚がそこに泳いでいるということはありえない話なんですよね。ですから自分が本気で水質を改善したんだったら、必ずそこから、まずは人が辞めることが、「ここの水質が変わったんだな」ということを教えてくれるサインだと思うんですね。

 

その次に集まってくる人たちは、まるで違う種類の人たちが来るようになるんです。だから人が辞めない改革というのはまだまだ水質が変わっていないのかなっていうように思うんですけれども。

 

水質が改善した後に絶対に大事なことは、僕は簡単に人数合わせをしなかったんです。だんだん組織の中に自浄性が出てくるようになれば別ですけれども、最初のコアなメンバーというのはどんなことがあっても簡単に人数合わせをしてはいけないと思うんですね。

 

そこから本当に自分の医院の水に合った人をきちんと採用していくということが大事なんじゃないかなと思うんです。

 

今野 極端に言えば、アポを切ってでも源流のメンバーで頑張っていくということですね。

 

和久 そういうことですね。一番僕が採用する時に大事にしているのは、心のコップがしっかり上を向いているかどうかだけなんですね。感性を大事にして採用させてもらっているということです。

 

今野 なるほど。とても参考になるお話を聞かせていただきました。本日はどうもありがとうございました。

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